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正解のない世界旅~バイクと旅とペンとギターと~
fatgoose(井谷太一と蒲生鴻志)のブログ
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カスピ海2
ドキドキ、ハラハラ、不安、緊張、焦り。
そんな言葉では決して表せない。
頭では理解できない感情が、その頭の中を占拠している事だけが理解できた。

スタッツから電話が鳴ってからの1時間、私も蒲生も会話を交わす事がなかった。

いや、出来なかったのだ。
一度何か言葉を口にすると、状況を把握するまで互いにもう口を閉ざす事が出来ない。
そしてそれらの言葉はきっと二人を更に混乱へと導く。

二人の頭の中で沸沸と細かい気泡が光の届く事のない仄暗い底から涌出している。
気泡が互いにぶつかり、はじけ、一つになりどんどん大きくなっていく。

あり得ない事態。
凄惨な予想。
恐ろしい想像。

今にもその空気に押しつぶされそうになり、互いに耐えきれず、
どちらからともなく口を開こうとしたその時だった。

スタッツとセルゲイが私たちのそれより酷烈な酸鼻な表情、空気を抱えながら、
今にも叫びだしそうな勢いでドアを押し開き、飛び込んできた。

その瞬間に私たちははっきりと肌で感じる事が出来た。
予想や想像はやっぱり予想や想像で、現実は遥かにそれらを凌駕し、

もっとリアルな感覚で自分たちを押しつぶそうとするのだと。


スタッツが今朝キリルが着ていた服を抱えている。
ズボンも上着も、その中に着ていたのであろうシャツやインナーも。

そのどれもにたくさんの大小の赤い斑点がたった今印刷されたように綺麗に鏤められている。

上手く息が出来ないままスタッツが口を開いてくれるのを待っていた。

自分で何があったのか聞けばいいのに。
聞けばいいのに、聞いた事にスタッツが首を縦に振るのが恐ろしくて。

そんな私たちの心中を見透かしたかのように、スタッツが口を開いた。

「今は最悪の事態にはなっていない」
まず私たちを安心させるためだろうか。
それだけ言うと彼は長く、私たちが作り上げた重い空気を消し去るように息を吐いた。

そして私たちの返答を待たないまま、続けて話し始めた。

「キリルがバイクを、KTMを修理に出していたことは知っているな?
あいつは、昨晩修理が終わった連絡を受けてさっきバイクを取りに行ったんだ。」

知っている。初日に彼のガレージに行った時に嬉しそうに説明してくれていたのだから。

蒲生が何か口を開きかけて、もう一度閉ざす。

「その帰りに、酒を飲みながら運転していた車、
飲酒運転の頭のおかしな暴走車が信号無視をして飛び出してきた。
たぶん避けられるスピードではなかったんだろう。
目撃者が話すには90キロは出ていたという事だ。
恐らく相手はライトすらつけていなかっただろう」

一瞬で心臓が紙屑のように縮み上がるのを感じた。

そして愚かで、浅はかで、軽骨な言葉が口をつきそうになった。

ーどうしてこんな時間にー
口を開きかけ、すぐに閉じた。

先ほどの蒲生も同じことを思ったのだろうか。

ーなぜ今バイクを取りに行くのか。どうして日が暮れてから。
この辺りは日が暮れても街頭はまちまちだ。修理場の多い郊外はそれすらないー
ーなぜ、どうしてー


私たちだ。
キリルの仕事を遅らせていたのは誰だ。
はっきりしている。私たちだ。


キリルが朝出かける前に冗談を口にしていた。
「お前達の子守りが大変過ぎて休日出勤だ」と。

笑いながら、私たちのビザや船が首尾よく進まない事を慰めるために。

「今すぐキリルに会わせてくれ」
考える間もなく私たちはスタッツに詰寄っていた。

「キリルは意識不明で今は誰も会えない。家族ですら謝絶されるだろう」
弱々しく首を振りながらスタッツは答えた。

そして、セルゲイの方を向きながら続けた。
「今日はセルゲイがこの家に泊まって、明日キリルのお母さんが来るのを待って病院に連れて行く。
お前達は今晩はもう寝て、明日からは俺の祖父母が使っていたマンションを使うといい」


その夜は二人で何を話したかは覚えていない。

もしかすると何も話さなかったかもしれないし、
互いに自分を責める言葉を口にし続けていたのかもしれない。

とにかく知らぬ間に二人とも寝息をたて、セルゲイがタオルケットを掛けてくれていた。


それからは精気が抜けたように数日をスタッツが貸してくれたマンションで過ごした。
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スタッツは彼も自分の会社を持ち仕事があるに関わらず、毎日私たちに会いにきてくれた。
大きなショッピングモールに連れて行ってくれ、
一番のお気に入りだというレストランにも連れて行ってくれた。
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会うたびに私たちはキリルの容態を尋ね、スタッツは意識が戻らないと答える。


とうとうビザが明後日には切れるとなった日の朝、
キリルが事故に遭った夜以来鳴る事のなかった携帯が突然音を立てた。

ディスプレイを見るとスタッツの文字が表示されている。

私たちはお互いに顔を見合わせた。

二人ともが少しの期待と、大きな不安を孕んだ醜い表情をしていただろう。
キリルに会えるのか、それとも。

そんな事は考えたくなかったが、どうしても頭に負のイメージがこべり着いて離れない。

蒲生がゆっくりと通話ボタンを押した。

途端、スタッツの元気そうな大きな声がスピーカーからもれ携帯を耳に当てていない私にも会話が聞こえた。

「喜べ!」

その言葉だけで、
濁りながら頭や心の中でどんどんとその体積を大きくしていっていた何かが急激に萎んでいった。
次の言葉を待つ。

「アゼルバイジャンへの船が明日来る!」

喜ぶべきなのだろう。喜ばなければならない。
そして感謝すべきなのだろう。
自分たちのためにあらゆる知り合いに連絡を取ってくれ自らの時間を割いてくれたスタッツに。
キリルに。

いや、感謝はしている。これ以上ない程の感謝をしている。

ただ、心からは喜ぶことが出来ない。

萎んでいったはずの闇がまた加速度で膨張していく。

この数日間何度もキリルに会いにいく事を望んだ。

その事を口にもした。
その度にスタッツは首を振る。

闇がしっかり育っていくのを感じていると、
スタッツがもう一つの幸せなニュースを私たちに伝えた。

「キリルが昨日手術をした。後数時間すれば意識を取り戻すようだ」と。

喜んだ。今度こそは心の底から喜んだ。


そして、スタッツが言い終わらないうちに聞いていた。

「キリルに会えるか」

少し惑う様な声で答えが返ってくる。
「分からない。今は母親だけしか会ってはいけないと言われているんだ」

私たち3人の心の変化に合わせるかの様な間が空く。

「…………ただ」
どうにかその沈黙を破るべく蒲生が口を開く。
「どうしても俺たちはキリルに会わなければいけない。あって絶対にお礼を言わなければならないんだ」

無茶な事を言っているのは重々承知している。
電話の向こうのスタッツの表情もまるで想像できる。

「お前達の気持ちは痛い程よく分かる。俺だって早く会いたい。
……よし、明日病院に行こう。
無理だと言われてもここはカザフスタンだ。どうにかなる。
明日の朝車で迎えにいく。お前達は船に乗る用意を済ませて待っていてくれ。」

彼の表情を私は想像出ていなかったようだ。


なんて心強い言葉だろう。
ここはカザフスタンだ。どうにかなる。
そうだ。無理だと言われても押し切ればどうにかなるだろう。

逸る気持ちを抑えアゼルバイジャンに向けての準備をしながら一日を過ごした。

次の日早くに目覚めた私たちはそわそわしながらスタッツを待った。
外から一際重いランドクルーザーのエンジン音がした時には、
既に荷物を背負いマンションを出るところだった。


会って初めになんと声を掛けよう。どんな話しをしよう。
アゼルバイジャン行く事が出来る事をどんな表情で話せばいいのだろう。

時折、助手席に座る蒲生を見ながら考えていると知らぬ間に病院に着いてた。


急ぐ気持ちを抑え院内を歩く。

小学生の時の授業参観の前の様な、
学校に持っていっては行けないものを持ているのが見つかった時の様なわけのわからない、
ふわっとした浮遊感、脳みそが生乾きのセメントになった様な感覚だった。

キリルの階に到着しナースステーションでキリルの部屋番号を訪ねる。

一人目の看護婦は教えてくれない。
彼は今面会謝絶だと言われるだけ。
二人目も結果は同じ。

業を煮やして一室一室開けていこうとすると、一人目の看護婦が私たちを呼び止めた。

彼は一番奥の部屋にいる。と教えてくれた。
一室づつ行くと結局辿り着くのは最後になるし迷惑なので教えてくれたのだろう。


長い長い廊下を息を呑みながら歩く。
彼の部屋、8号室が現れた。


扉の戸をそっと開ける。

一番奥にキリルはいた。
薄く目を瞑り、まどろみの中にいるようだった。

私たちの足音に気付いたのだろう。
ゆっくりと目を開け、弱々しくこちらを向いた。

天上から吊るされた右手足。
血の気のない顔色。
これまで一切日に当たらず過ごしてきた幼い子供の様な蒼白い肌の青年がそこにはいた。


考えていた言葉、表情、仕草。
それらが一気に忘却の彼方へと消えていった。


キリルはスタッツと少し話した後、
「私たちにアゼルバイジャンに行けてよかったな、おめでとう」
とぎこちなく笑った。

言い終わると、また同じ笑顔で「これは皮肉だぞ」とも言った。

きっと本当に皮肉なのだろう。
キリルがどれだけ優しく、どれだけ温かくとも。


枕元にある籠に入ったフルーツ。
その隣にある薬を飲むための水筒。
そこに貼られている初日にキリルに手渡した私たちのfatgooseのステッカー。

私はその場で声をあげて泣き出したかった。
泣きながらキリルに謝り、ありがとうを言い、
彼に笑いながら大丈夫だと言って欲しかった。

そんな事が出来たらどれだけ楽になれるだろうか。
でも、そんな事をしたらどれだけキリルが辛くなるだろうか。

もう少しだけたわいのない話。
どの看護婦が可愛いとか、やっぱり病院の料理はまずいだとかの話をしていると、私たちの船の時間が来た。

じゃあまた必ず連絡すると言い、弱々しい握手をかわして病室を出ようとした。


蒲生とスタッツに続き病室を出ようとし何気なくキリルを振り返った。

キリルはまだこちらを向いていた。

振り返ると同時にキリルが口を開いた。
「翻訳してでもお前達のwebサイトやblogを見るからな」

今度はさっきより空気の様な澄んだ笑顔で。
私は何も言わずしわくちゃの顔で頷くだけだった。


病室から出てスタッツの時計を見ると出航の1時間半前になっていた。
船を見逃すところだ。
大急ぎで港に向かい、大急ぎで手続きを済ませた。


スタッツに心の底からお礼を言い、
荒々しい手つきで私たちのバイクを触る船員の心配をしながら別れを告げ
アゼルバイジャン行きの船に乗り込んだ。
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カスピ海

私たちは満身創痍でアクタウに着いた。
大きなショッピングセンターの前にバイクを停め、
期待と不安の混じった感情を抱えながら教えてもらった番号・キリルに電話する。
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しばらくしてやってきたのは、Harley883に跨がった男前。
彼の名前はKirill Gandi。現在27歳でモスクワの大学に通っていたこともあり、英語も流暢に話す。

まず、自己紹介を終えて聞かれたのは
ホテルが必要なのか?
と。そこですかさず、俺たちは金がないんだ!と。

キリルは二つ返事で
じゃあ俺の家にいれば良いよ。1、2週間程か?と。

早速キリルのハーレーについて行く事15分、彼が所有するガレージに到着。

キリルはハーレー以外にも、あまり日本では有名では無いがオフロードの分野で突出しているKTMも持っていた。
そのKTMは今修理中でもう少しすると直るらしい。
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そんな彼の家に到着するとこれまた一人暮らしとは思えない程の邸宅。
入ると20畳程のリビングに同じくらいのダイニングキッチン、
ホールの様な場所が10畳、私たちの目に飛び込んできた。
話を聞くと、現在中学生の妹をモスクワの学校に通わせるために両親共にあちらに住んでいるとの事。
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着いてすぐにキリルが「ここを自分の家だと思って生活してくれると良い。とりあえず飯でも食うか?」
そう言うとしっかりと味付けされたサラダとハンバーグを出してくれた。
こんな料理を作れるのかと思って聞くと、
これらは朝に家事をしてくれる人が来ているらしい。


その夜キリルの紹介でセルゲイ、スタッツと出会った。
スタッツはキリルと同じ年で、モスクワの学校で同窓だったそうだ。
セルゲイはと言うと、少し変わっている。
いや、大層変わっている。全くと言っていい程喋らない。
煙草を吸いに行ったので追いかけて話しかけてみると、
こちらの問いには答えず街を眺めながらひと言「ビューティフル」と。
36歳で人見知りもないだろう。
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セルゲイ

その夜は少し疲れていた事もあり、すぐに就寝。
キリルはセルゲイ達とバイクフェスティバルについて話し合いに行くので
好きにして好きに寝てくれと言い、出て行った。

次の日、キリルは仕事があり、お手伝いさんが家の掃除をしている間、
歩いて5分程の場所にあるカスピ海へ。
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カスピ海までバイクで来たんだな、
としばらく物思いに耽っていると、キリルから携帯に着信。

いつまでいても良いが、私たちがアゼルバイジャンに向けて乗るであろう船の手配と
必要な書類が何かを知っておかなければならないだろうと。

確かにその通りである。
準備はしておくに越した事がない。
そしてキリルが言うには船はほぼ不定期で出発すると言われてから3日ほど出ない事もあるらしい。
実は以前キリルもこの船を利用した事があるらしい。

とりあえず仕事を中断して私たちを迎えにきてくれ、港まで彼の車で行った。
そこで衝撃を覚えた。
なんと船がいつ来るかもいつ出発するかも港の誰も知らないらしい。

港の職員は一人として英語が通じない。
この街に着いた時点で私たちもある程度ロシア語で意思疎通を出来るようになっていたが、
彼が全て聞いてくれたので全く問題はなかった。
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曰く、やはり誰も知らなかった。
とりあえず港ではチケットを買えないのでチケットショップに行かなければならない。
キリルは仕事があるので迷いながらショップまで二人で行くが店が休みだったので
一旦キリルの家に引き返し、キリルの家を通り過ぎもう一度カスピ海へ。


そこには昼間とは一変し全く違う景色があった。
そこには恐ろしい程に近く、大きい、今にもドロドロと音を立てて溶けそうな火照った硝子玉が口を開けていた。
その硝子玉は海も空も私たちの顔さえも朱と金に焦がし、
もうすぐ現れる其処ら中に潜んだ闇を必死に探そうとしているようだった。
ざわざわと胸の内側を何かに撫でられ、不安にも似た感動を覚えた。
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それからは2、3日キリルとロシア語の3D映画を見に行ったり、
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キリルの知り合いに頼んで船のチケットを手配してもらったり、
セルゲイ、スタッツ、キリルとパブへ行ったりして楽しんだ。


そうこうしているとキリルの携帯に、明日船が着くと言う連絡が届いた。


翌日、港へ向かった。
手際の悪い港の職員にバイクと私たちのチケットを見せながらスタンプを押してもらっている途中、
海軍の一人がアゼルバイジャンのビザはどこだと聞いてきた。
私たちは何を言っているんだと思いながら、
アゼルバイジャンは港でアライバルのビザを貰えるじゃないかと。

するとまた兵隊の一人が去年からアライバルビザは空港だけになったと。


一瞬で頭が真っ白になった。
みぞおちを強く打たれたように声を上げる事が出来なかった。
なす術もなく、墨汁を心臓に流し込まれた様な暗さを抱えながら
キリルの家に帰り事の次第を説明する。

彼は少し表情崩したがすぐには何も言わず、むしろこちらを気にした。
「謝る事はない、可哀相なのはお前達だ、
チケットはもう一度同じ物を使えるように俺が頼んでおいてやるから、
気にせずこの家にいれば良い」と。

私たちのために仕事の時間を割いてくれている。
彼の家に滞在しすぎる事が申し訳ないとか、
早く進みたいとかそういう気から落ち込むわけではないが、
なんだかキリルに対して顔向けが出来なかった。


次の日、アゼルバイジャンの大使館に行きビザの申請を行う。
が、一週間かかるという。
このとき10月25日だ。しかも金曜日。土日は当然休みである。
しかもカザフスタンは10月末までに出ないと行けない。


ここで旅が終わってしまうのか。強制送還だけは免れなければいけない。


と、そんな事を考えながら落胆していると、
キリルとスタッツの知り合いに大使館で働いている人がいると言う。
すぐに連絡を取ってもらい、出来るだけ早くビザを発行してもらえる事になった。


本当に感謝した。
安堵と同時に自分に腹立たしさも感じた。
キリルは笑顔で「よかったな」と。

安心しながらも何かが頭の中のどこかでつっかえていた。

何だろうか。

船だ。
次の船がいつ来るか解らない。


しかしこればかりは待つしかない。
後数日で船がくる事に賭けるしかない。


翌日、朝からキリルは仕事、私たちはキリルの家にいた。
焦燥か自分への嫌悪か得体の知れない不吉な塊が心を圧迫していた。


日が暮れ街に街頭が着いてから1時間程経った頃、突然キリルからの電話。
出てみるとスタッツだった。

何を言っているか解らない。
ロシア語と英語が混ざっている。
ただ、極度の緊張と恐怖、焦りを受け取る事が出来た。
キリルがどうとか、バイクがどうとか……

ポツポツと心臓の乾いた部分に冷たい雫が垂れ落ちる。
同時にドクドクとまるで全身が一本の太い血管になったかのようにも感じた。
砂漠
まずカザフスタンでの出来事だが

カザフスタンでは全ての出来事が非常に長く感じられた。


アスタナを出てコスタナイに向かう途中で野宿をした。
次の朝、うそ寒さに目が覚め、重い身体をテントから引きずり出すと、
辺り一面が前夜とは打って変わって雪景色になっていた。
雪景色というと聞こえは良いが私達に取って、これ以上の悪条件はない。
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2時間程待ち、地面に雪が見えなくなった頃出発しその日の夕刻コスタナイに着いた。


着くと同時にアスタナで聞いていた番号に電話すると、
電話先の本人は今モスクワにいると言いだした。

少し不安に駆られていると、
息子を紹介すると言ってくれなんとか連絡を取ることができた.


その後、息子であるブラッドと合流すると、高そうなレストランに連れて行かれ、
どれでも好きなものを頼めと言われ、ごちそうになった。
案の定ウォッカ等も出てきたが。
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その日はブラッドが所有している。バーで大きなソファを2つずつくっつけ眠りについた。
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次の日ブラッドからアクトベの歯医者であるアンドレイ。
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アンドレイからはオラリスクのステファン。
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ステファンからはアテラウのセルゲイの電話番号をそれぞれ教えてもらい、
街に着く度に連絡を取り彼らの家やガレージに泊めてもらう事が出来た。
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他の人にももちろんではあるが、アテラウのセルゲイには大変お世話になった。
彼の仕事の時間を割いてくれてまでいろいろと準備してくれた。
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やはりと言うか、セルゲイにもアクタウのキリルの番号を教えてもらった。
更にこちらは悪い情報。アテラウからアクタウまでは、途中300キロ程道がないと。

カザフスタンは初め砂漠というイメージだったが、走っていてそれは完全に払拭される事になった。
しかしこの300キロを走ることにより、果たして砂漠の存在をしっかりと確認させられる事になったのだ。

私たちはこの300キロを12時間かけて走った。
砂漠動画

途中昔モトクロスの選手でもあったおじいちゃんに助けてもらいながら、
なんとかカスピ海に面する最後の街アクタウに到着したのである。


この街にあれほど長く滞在しとても温かい気持ち、
そしてあれほど悲しい気持ちにもなるとは思いもしなかった。
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ちょっと失礼します。
お久しぶりです。
井谷です。
いろいろ思うところがあり、
ブログの更新をスットプさせてしまっていました。

でも一人でボーッと考えることの多い日が続き、
この旅を少し真剣に振り返りました。
(ボーッとしてたんか真剣なんかどっちやねんな...)


ある日の私の日記から一部分だけ抜粋します。


”テレビや紙面からは得られないそれぞれの国の真実、状況。
人間の温かさは言わずもがな、本当に純粋な部分から生まれてしまう醜悪な性。
少し大袈裟な表現にはなるが、日本にいる時の自分の主観を客観的に考えて
現在と比べてみると擬似的SFの世界に身を置いている様な気さえ感じられる。
景色、生活、文化、ルール、人間性、交通事情、マナー、
時間の流れ方等がひっきりなしに展開して行くことによって。
でも自分自身の世界観や価値観は変わらないだろうから、
良い方向に付加させられたらいいなぁ。
そういえばいつかがもちゃんが言っていたけど、
「いかに自分の芯を変えないでいられるか」
って皆、「当たり前やん!自分は自分で芯なんか変わらんよ!」
て思ってるけど案外難しいことかもしれない。”


こんな事を書いている日があったわけですよ。


そしてまた、道中こんな言葉をある人から学びました。


”円を紙に書いてみる。
その円の中が自分の知っている事、
円の外が知らない事(というか自分の生活にまだ登場していない事?)、
円周の部分が知らないと感じる事(知らない事を知っている部分、以下ignorance)。
ignoranceを知る事によって円自体は大きくなります。
すると当然、円周は長く(大きく?)なる。
つまり知る事によって、ignoranceが増えるという事。”


なるほどと思いました。
(分かりづらかったらすいません。絵を描いてみて下さい。)


ここから自分で勝手に飛躍させて考えてみました。

「じゃあ円の中心は何だろう。
考えようによると芯かな。
いろんな事を体験して、いろんな事を知って行く内に
円周を求め過ぎて中心を忘れてしまう事もあるんじゃないか。
それってすごい恐ろしい事なんじゃないか。
円の外は無限に広がっていて、
どんな方向に伸ばすのもどんな形にするのも自分の自由だ。
でも、だからこそ自由は恐くて、
簡単に自身から中心部分を包み隠してしまう。」



なんて事を考えていたら、
更新をストップさせていた理由は決してちっぽけな事ではないけれど、
途中で止めてしまう事は違う気がしました。

でも止めていた事にはちゃんとした理由があります。
またいつかの更新で、吐き出せたらいいなと感じています。



自分語りみたいで読みにくいですね。
読んでもらった方には感謝すると同時に申し訳ないです。
何となく気持ちの整理をしたくてこんな事を書いてしまいました。


なんやしょうもない、と感じた人はそっとcontrol+w,command+wを押して下さい。笑


という事で、これまでも書く事自体は止めておらず、
書き溜めてはいたのでそれらをまとめながら更新していきたいと思います。


私は知らない事を知るのがとても好きだ!と再認識しました。

では。
カザフスタンの首都は?てかどんなイメージ?
カザフスタンの国境を越えて最初の町ペテロバブルに着いた。
一晩1000円程のホテルを確保し、二人ともが少し体調を崩していたこともあり2日間滞在した。
カザフスタンに入って最初に感じたことは、”ロシアと変わらない”ということだった。
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多少ロシアよりアジア系の風貌の人は増えたが話している言語はロシア語だ。
これがロシアの国境から離れるにつれてどう変わっていくのか。

Ivanが待ってくれていると信じて私たちはアスタナへと急いだ。

アスタナに22時頃着き、Ivanに連絡し待つこと30分、私たちが待つバス停まで迎えにきてくれ知り合いが経営するホテルまで送ってくれた。
高そう……でもこの日はすごく疲れていた。とりあえず寝ようと思い
パーキングにバイクを停め荷解きをしていると「お前達はここに二日泊まるんだ」と。
「え?」
「金は払っておいてやる。明日昼頃に迎えにくるからな」
「え?」
「じゃあな、あ、お前達peterkhinというバイカーを知っているか?」
「うん?」
「お前達のことを話したら、アフリカを一緒に走りたいそうだ。」
「え?」
「おやすみ」
「おやすみ」

一気にいろいろ流れ込んでき過ぎた。寝よう。

翌日はアスタナを軽く観光した。
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Ivanの後ろ姿

さすが首都だけあってとても綺麗な街並だ。
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2017年アスタナ万博のシンボル・ランドマーク

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中の様子・直線距離で東京まで5569km

万博が2017年に開かれることも知らなかったし、もともと1998年までは首都はアルマトイだったということも知らなかった。

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アスタナ県庁舎

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巨大スクリーン

この日IvanからNicorayへと私たちの御守りは交代され夜はビールをごちそうに。
日本の飲み会もカザフスタンの飲み会もさほど変わらない。
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一番手前の左がNicoray

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次の日少しだけフロントフォークからオイルが漏れていたので即行で直しコスタナイへ出発した。

アスタナに来てカザフスタンのイメージががらりと変わった。
というか、カザフスタンには抽象的で漠然とした印象しか持っていなかったのだと、
自分で自分の認識を確認させられた。

皆はどんなイメージ?




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